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      <title>マンハッタン･キス</title>
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      <description>歌声は、ｆ/1らしいよ！！</description>
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         <title>テニス・コーチのためのアドバイス　5</title>
         <description>テニスの指導において、もっとも大切なのはコーチ自身の指導能力に他なりません。


そこでコーチ自身が自分のコーチングを客観的にチェックし、自己分析することの意義についてお話することにします。


私は、コーチとして自立を始めた頃から、レッスンでどんなに疲れ果てて家に帰っても、その日のレッスンについて、かならず反省することを忘れませんでした。


こうしてその日を振り返り、様々なことをメモすることにより、レッスンそのものの反省や改良のみならず、新しいアイデアも生まれてきました。


私のテニス理論にしろ、現在実践しているトップ・スピン打法にしろ、この反省の賜物に他ならないのです。


自分のレッスンをチェックするために一番簡単なのは、テープレコーダーで録音した自分のレッスンを聞いてみることです。


こうすることにより、生徒1人1人への指導は的確か、自分の声は小さくないか、レッスンの雰囲気はどうか・・・といったことまで客観的に知ることができます。


こうして知り得た事実を、自分のレッスンで前向きにフィードバックさせることができれば、あなたのレッスンは飛躍的に向上することでしょう。

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         <pubDate>Thu, 12 Aug 2010 14:14:29 +0900</pubDate>
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         <title>テニス・コーチのためのアドバイス　4</title>
         <description>コーチングのむずかしさはここにあります。


コーチが頭で簡単に理解していることであっても、生徒にしてみるとまったく未知のことで困惑している場合も多いのです。


何度も何度も同じアドバイスを繰り返すことは、コーチにとって大切な手段のひとつです。


ただそのアドバイス自体を生徒が理解できていなかったり、コーチに聞くのが恥ずかしいと思っていたりした時のコーチは悲劇的です。


生徒のフラストレーションの一端はコーチとのコミュニケーションが欠けていることが理由の場合もあります。


コートでは、コーチは生徒の心をしっかりと把握し、生徒の立場に立ったレッスンを行なう必要があるわけです。


私がたまたま遭遇したこの女性の場合、私がその女性の立場になってあげられなかったわけです。


そして別のコーチにつき、ちょっとしたヒントを与えてもらったことで、あっさりフラストレーションを解消することができたわけです。


あなたがコーチとして、数多くの生徒を受け持つうち、中には何らかの理由でフラストレーションを募らせ、イライラしたり、ガッカリしたりする生徒に接することがあると思います。


その時、この話を参考にスマートなレッスンを行なってほしいと思います。


さて、あなた自身、自分のコーチングを客観的にチェックしてみたことがありますか。


私が現在実践しているレッスンや、テニス理論も反省から生まれたものです。

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         <pubDate>Mon, 02 Aug 2010 14:11:54 +0900</pubDate>
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         <title>テニス・コーチのためのアドバイス　3</title>
         <description>それから半年ほどし、その女性が友人を連れてテニス・クラブに現われ、私の見ている目の前でラリーを始めた時の驚きは言葉でいい表わせないほどでした。


まったくの別人なのです。


ストロークもボレーも素晴らしいボールを打てるようになっていたのです。


私が1年以上かかってできなかったことを、わずか半年足らずで完壁にこなすようになっていたのです。


あまりの驚きのために「どうしてそんなに上達したのですか」と正直に尋ねてみたところ、この半年別のコーチにつき、週に1回レッスンを受けていたという返事でした。


ただ、そのコーチが私と違っていたのは打った後、&quot;今のはラケットのどこにボールが当たったかわかりますか&quot;という質問をたびたび彼女にしたことでした。


彼女は、自分がラケットのどこでボールを打っているのか、そのコーチの指摘を受けるまで全然理解できていなかったわけです。


私はそのことに気付かず、&quot;ボールをよく見て、ラケットのまん中で打ちなさい&quot;というアドバイスしか与えていなかったのです。


私の教え方は、一方通行でフィード・バックを怠っていたため、彼女はテニスに対する第一歩ですでにつまづいていたわけです。

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         <pubDate>Mon, 12 Jul 2010 14:09:22 +0900</pubDate>
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         <title>テニス・コーチのためのアドバイス　2</title>
         <description>かなり前の話になりますが、私もフラストレーションに陥った生徒を持ち、じつに苦い体験をしたことがあります。


この経験がそれ以降の戒めとなり、コーチとして大いに勉強になったわけです。


そのころ、私はレッスン・プロに転向したばかりで、とある小さなテニス・クラブでプライベート・レッスンを行なっていたわけですが、毎週レッスンを受けに来る1人の女性には、ほとほと困ってしまいました。


とにかくラケット・フェイスのまん中にボールが当たらないのです。


私はレッスンごと声をからし&quot;ボールをよく見て、フェイスのまん中でボールをとらえなさい&quot;と、それは一所懸命になってレッスンしました。


しかし、いっこうにうまく打てずずい分落ちこんで、とうとうレッスンをやめたいという電話がかかったきり来なくなってしまいました。


&quot;生徒が上達しないのを、生徒の能力のせいにしてはいけない&quot;と今では胸を張って言っていますが、その当時は自分のコーチング能力が未熟だったこともあり、仕方ないとあきらめてしまいました。

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         <pubDate>Fri, 02 Jul 2010 14:08:05 +0900</pubDate>
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         <title>テニス・コーチのためのアドバイス</title>
         <description>コーチングのテクニックとしては、フラストレーションに陥っている生徒がどの部分で悩んでいるのか分析を試みることが大切です。


突きつめていくと、案外つまらないことでテニスに対する情熱を失っている場合も多いのです。


たとえば、サービスのトスの上げ方をまちがっていたために、サービス・エリアにボールを入れることができなかったり、バック・スウィングが大きすぎるばかりにタイミングを合わせることができず空振りし、ふさぎこんでいるなどのケースは私の知っているだけでも何百とあります。


そのような原因を見つけだすことができたなら、コーチはその欠点の矯正にだけ注意を与えるのではなく、生徒に、初心に戻って&quot;なぜ&quot;打てないのか反省させることも必要です。


コーチが一方的に与え続けるのではなく、生徒自身にも自分のテニスを考えさせてやることが、時として思わぬ効果を上げることになります。


コーチは内面においては常に冷静で、生徒と接している外面においては情熱的に、この2つの心構えが、生徒をリラックスさせる秘訣といえるでしょう。


レッスンでは生徒を絶対に追いこんではいけません。


生徒には毎回、レッスンごとに新たな気持ちでテニスに取り組めるように配慮してあげることが、生徒の
フラストレーション解消のもっとも有効で早い方法といえるのではないでしょうか。

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         <pubDate>Tue, 22 Jun 2010 14:06:44 +0900</pubDate>
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         <title>おすすめ　その６</title>
         <description>当時、江戸画界の頂点にあった谷文晃に教えを乞うたところ、一笑に付されたのに腹を立て、捨てぜりふを吐き、玄関にあった酒樽の栓を抜き、飛び出していった話が伝わっています。なかなか勇ましいですね。

維新の波をくぐり明治の世を迎えた草雲は、第一回内国勧業大博覧会に「富獄六景図」を出品、名
声は海外にまで及びました。翌年白石山房が完成して移り住んだ。
その後も「春山暁霧」「秋山晩暉」を発表、七十三歳で皇居御杉戸四図に八枚揮毫したりして精力的に筆を動かしている。
しかし八十二歳で病に倒れ、以後八十四歳で永眠するまで筆を持つことは少なかったようだ。草雲は足利市の西宮長林寺に葬られましたが、遺言により、絶家されているとの事。

足利公園の南、白石山房の門内にある瓦屋根と白壁が印象に残る美術館で、「富嶽図」を見、画室や茅葺きの居室で草雲を偲ぶことができるが、足利学校の古書の散逸を身をもって防いだ草雲の業績は忘れてはならないことだ。</description>
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         <pubDate>Wed, 02 Jun 2010 12:52:27 +0900</pubDate>
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         <title>おすすめ　その５</title>
         <description>草雲の悲劇は妻だけではなかったそうです。明治維新を前に、勤王か佐幕か、激しい波嚇各藩を襲った時期、草雲らの説得で、足利藩は勤王方に決定したが、一人息子格太郎は脱藩、上野彰義隊に投じた後、妻の房と心中してしまいます。

母菊子の実家松井家が、代々将軍家出入りの陶商だったことも佐幕派に加わった理由の一つといわれている。
草雲が足利に戻って来たのは一八六一年、四十七歳の時であるが、生まれは江戸神田小川町にあった足利藩邸で、貧しさから幼い頃から御殿勤めをするが、絵の才能が芽生え初めて、金井鳥州、加藤梅翁に師事して画道を習う。

草雲は絵ばかりでなく和歌、俳譜、書を習い、十六歳で千葉道場の門を叩き、剣の修行をしている。
画名を梅渓と改めた頃から花鳥図でめきめきと腕をあげ、「軍鶏の図」は特に称讃されたそうです。
しかし、放浪癖は度を増して来ていて、気性が激しいうえに若さも手伝ったとはいえ、あちこちに武勇伝を残し、あばれ梅渓と呼ばれていたと言う。</description>
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         <pubDate>Sat, 15 May 2010 12:44:21 +0900</pubDate>
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         <title>おすすめ　その４</title>
         <description><![CDATA[田崎草雲が、妻菊子を描いた二枚の絵が興味をひきます。
一枚は、若い日の草雲夫妻が隅田川の畔の料亭で・友人の画人富取芳童酒を飲んでいる絵で、菊子は左手に徳利を持ち、右袖で。元をおさえ笑っている。初々しい若妻の風情です。

もう一枚は「狂妻菊子像」。眉根にしわをよせ、どこを見据えているのか、蕊い眼をしている、鬼気迫る絵である。浅草今戸小町といわれたほどの菊子の、この無残な変ザようを、草雲はどんな気持で描いたのだろうか。

深窓育ちの菊子にとって、草雲との二十年の生活が並々ならぬものであったことを思わずにはいられない。同時に草雲の深い悲しみが伝わってくる気もします。

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]]></description>
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         <pubDate>Sun, 02 May 2010 12:20:51 +0900</pubDate>
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         <title>おすすめ　その３</title>
         <description>濱田庄司は益子の仕事や土や人々に合わせて陶芸家としてのスタートをしたが、地元の人々の抵抗もかなりあったそうです。

しかし、やがて濱田庄司の仕事が益子焼を改めて認めさせ、不況を救うことにもなって現在の益子焼の素地を作っていき、また多くの工芸家の誕生を促しました。

益子参考館は長屋門(一号館)、石蔵二棟(二、三号館)、上台と呼ばれる木造家屋(四号館)と工房、登り窯からなっている。
これらは近在の古い民家を移築したもので、北関東の剛健な気風を感じさせる建物で、どっしりした重みと美しさがあります。一九七八年、濱田庄司は益子の自宅で死去。八十三歳でした。</description>
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         <pubDate>Sat, 17 Apr 2010 12:14:42 +0900</pubDate>
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         <title>おすすめ　その２</title>
         <description>一般の美術品収集とは違った濱田庄司独自のものであり、彼の目のわざが生きている。
参考館に展示されているメキシコの木彫の鳥の玩具です。

スペインの、黄、青、緑で彩色された三角形の陶製の塩入れなど、思わず手にとってみたくなるような懐しさとぬくもりを感じます。

一方で「李朝螺銀花鳥図箱(朝鮮)」や「明呉須赤絵鉢(中国)」などには、濱田庄司の厳しい目が光っていよう。濱田庄司が益子に定住を決めたのは一九二四年。この頃の益子は、かめ、かたくち、湯たんぽなどを作っていて、土も上等でも下等でもなく、粒子も細かくはありませんでした。</description>
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         <pubDate>Sat, 03 Apr 2010 12:11:06 +0900</pubDate>
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         <title>おすすめ　その１</title>
         <description>人間国宝として知られ、民芸運動の中心にあった陶芸家濱田庄司の、作品や収集品、住居を、工芸家や一般の人々に広く開放したいと開かれた益子参考館には、濱田庄司の名は冠せられていない。

そこには、陶芸家といわれるより陶工と呼ばれることを望み、古今の陶工の仕事の手わざを学んで、その域に達することを心がけた濱田庄司の人柄が表われている。

庄司の次男、濱田晋作館長夫人、映子さんの言葉を借りれば、
「義父は、本当に公平無私の人でした。家族も、手伝いに来る人も皆同じように接しました」
やさしい舅であり、穏やかなお爺ちゃんであった。

濱田庄司が五十年にわたり、十数回に及ぶ海外旅行と国内の旅行によって集めた工芸品は、古今洋の東西を問わず約二千点にも及び、それを選んだ彼の目は、日々の暮らしの中で使われてきた物に注がれていた。</description>
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         <pubDate>Mon, 15 Mar 2010 12:06:44 +0900</pubDate>
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         <title>UNIVERSITY STREET</title>
         <description><![CDATA[「UNIVERSITY STREET」は、竹内まりや2枚目のアルバムです。

1979年にリリースされました。

<img alt="UT.jpg" src="http://webserf.net/images/UT.jpg" width="240" height="240" />

当時は「キャンパス・ギャルの代表」というイメージを持っていたまりやさんを象徴する内容になってます。

当時から魅力的なヴォーカル＾＾

≪曲目リスト≫

1. オン・ザ・ユニヴァーシティ・ストリート
2. 涙のワンサイデッド・ラヴ
3. 想い出のサマーデイズ
4. イズント・イット・オールウェイズ・ラヴ
5. ホールド・オン
6. J―BOY
7. ブルー・ホライズン
8. ドリーム・オブ・ユー~レモンライムの青い風
9. かえらぬ面影
10. グッドバイ・ユニヴァーシティ 

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         <pubDate>Thu, 18 Feb 2010 14:22:57 +0900</pubDate>
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         <title>BEGINNING</title>
         <description><![CDATA[『BEGINNING』は、1978年にRCAで発表された竹内まりやのデビュー・アルバム。
4曲がLA録音だったことで、当時は幸福なデビューと当時言われたそうです。

ただの歌手ではない、シンガー・ソング・ライターとしての竹内まりやのイメージは、このアルバムで作られたと言えます。

<img alt="bigininng.jpg" src="http://webserf.net/images/bigininng.jpg" width="200" />

●曲目リスト●

1. グッドバイ・サマーブリーズ
2. 戻っておいで私の時間
3. 夏の恋人
4. 輝くスターリー・ナイト
5. 目覚め(ウェイキング・アップ・アローン)
6. ジャスト・フレンド
7. 突然の贈りもの
8. おかしな二人
9. ムーンライト・ホールド・ミー・タイト
10. サンタモニカ・ハイウェイ
11. すてきなヒットソング 

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         <pubDate>Mon, 18 Jan 2010 15:03:54 +0900</pubDate>
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         <title>Denim</title>
         <description><![CDATA[2007年に発売された『Denim』は、10枚目のソロアルバムです。

<img alt="mariya_denim.jpg" src="http://webserf.net/images/mariya_denim.jpg" width="200"/>

オリジナルアルバムとしては『Bon Appetit!』以来の作品で、その間にもニュース番組への楽曲提供などはあったものの、山下達郎の作品が中心に制作されていたために、完全なる新規のオリジナルアルバムとしては実に5年半ぶりになる作品です！

カヴァーアルバムを発表した2003年以来、音沙汰がなかったのですが、2006年に入り山下達郎自身から「竹内まりやのアルバムを制作している」と言うアナウンスと共に、ものすごく発売を待たれていた1作ですね。

この年の4月6日に山下夫妻はめでたく銀婚式を迎えました。偶然だそうですが、結婚25周年記念の年に発売されたという記念の作品ですね。

オリコンアルバムチャートでは、前作『Longtime Favorites』から引き続き3作連続、通算7作目の1位を獲得しました。52歳2ヶ月での同チャートは1位は、女性ソロアーティストとしては史上最高齢なんです。

ずっと支持され続けている、すごい人です。
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         <pubDate>Sun, 20 Dec 2009 12:25:00 +0900</pubDate>
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         <title>18年ぶりのライブ</title>
         <description><![CDATA[2000年7月には、約18年ぶりの本格的なライブを東京・大阪で行いました。
ライブ・アルバム『Souvenir～Mariya Takeuchi Live』に収録されています。

<img alt="mariya.JPG" src="http://webserf.net/images/mariya.JPG" width="357" height="349" />

その後もアルバム『Bon Appetit!』（2001年）、カヴァーアルバム『Longtime Favorites』（2003年）などをリリースし、あまりメディアに出ないスタイルを貫きつつも、その抜群の存在感を見せています。

]]></description>
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         <pubDate>Fri, 06 Nov 2009 12:05:00 +0900</pubDate>
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